仙台~伊達政宗公墓所 瑞鳳殿~
仙台の伊達政宗公の関連施設
仙台と言えば何を思い浮かべるでしょうか?牛タン?七夕まつり?いえいえ、歴史大好きな方であれば、当然伊達政宗公です!言わずと知れた戦国大名の中のスーパーヒーローであり、戦国大名の中でも最も長生きした(徳川家光の時代まで生きていたのは、伊達政宗公ぐらい?)うちの一人です。
長生きすれば良いというものではありませんが、下剋上や騙し合い・殺し合いが当たり前の戦国時代を生き延びること自体が凄いことだと思います。
伊達政宗公が築き上げた62万石仙台藩の居城である仙台城(青葉城)や日本三景のうちの一つである松島にある伊達家菩提寺である瑞巌寺などが有名ですが、まずは墓所である瑞鳳殿に行ってみます。
夏の瑞鳳殿
私が瑞鳳殿に行った時は8月のお盆の時期で、かなり暑い時期でした。瑞鳳殿には無料の駐車場があり便利ですが、そこからは歩いて上っていくことになるので、かなり汗をかきました。瑞鳳殿の公式HPは下記からどうぞ。
8月のお盆の時期だったにもかかわらず、新型コロナウイルスの影響で、あまり人はいませんでした。入場料は大人570円、高校生410円、小中学生210円と良心的な値段設定です。
それでは早速、伊達政宗公の墓所である瑞鳳殿を目指しましょう!
駐車場から少し上がると、この大きな案内板が目に入ります。左と右の二手に分かれますが、瑞鳳殿へと向かう順路は左なので、そちらに向かいましょう。
そこまで急な階段とは思われないでしょうが、夏の酷暑(確かこの日の気温は35℃以上)の時に、この階段を上っていくのは、かなりきついです。木陰になっているだけマシかもしれませんが、それでも汗びっしょりになることは覚悟しなければなりません。
瑞鳳殿入口です。ここからは有料です。この手前に券売所があり料金を払いますが、音声ガイドもそこで借ります。
立派な建物が見えてきたので、これが瑞鳳殿かと思ったら、これはまだ入口の門だということでした。まだまだここから階段を上っていくことになります。
この門の裏手の階段を上ったところにもう一つの門が見えました。あそこの中が瑞鳳殿なのでしょうか?こっからは木陰になっていないため、とても暑かったです。
最初の門を入ると見えてくる階段です。立派な階段ですが段差があるため、上るのに結構体力がいります。先日の地震で、この両脇の石灯籠も崩れてしまったのでしょうか?(令和3年2月21日現在、瑞鳳殿は臨時休業中です)
第2の門は第1の門に比べて質素ですが、黒壁に赤の窓というのが、伊達者っぽくて格好いいです。ちなみに、この瑞鳳殿は仙台城(青葉城)から見ると、川を渡った眼下の小高い山の上にあります。
そこから見下ろすと第1の門が眼下に見えます。ご覧の通り日光を遮るものが何もないので、これだけの階段を上がるだけで汗びっしょりです。日陰で涼をとりながら進みます。
第2の門をくぐると、見えました!これが伊達政宗公の墓所である瑞鳳殿です。日光東照宮よりは規模が小さいですが、さすが未だに人気があり尊敬もされている戦国大名の墓所は違います。シンプルな墓石であることが多いですが、このように~殿のような建物自体が墓所になっているのは、日光東照宮の徳川家康や米沢の上杉家墓所にある上杉謙信公以下代々の上杉家墓所などがありますが、基本的に珍しいです。
瑞鳳殿とその脇にある墓石の物語
瑞鳳殿を近くで見ると、当時の装飾が分かり優雅な気分になります。きっとこの中に伊達政宗公の墓があるのでしょうが、そこまでは見ることができません。立てれた当時の瑞鳳殿は戦災で焼けてしまいましたが、現在のものは昭和54年に当時のままに再建されたものです。最近大改修工事が行われたため、非常に綺麗な瑞鳳殿を見ることができます。
瑞鳳殿の脇には、昔の写真や中に納められている伊達政宗公の像などの写真があります。この雰囲気の重厚さは、上杉謙信公の墓所に行った時に感じたものと同じ気がしました。ただし、上杉謙信公墓所はもっとシンプルで渋い感じ、伊達政宗公墓所はカラフルでおしゃれという、二人の行き方にも通じるものがあります。
瑞鳳殿の左右にはこのような墓石があり、その説明書きを見ると、これら20の墓石は伊達政宗公が死去された時に追腹(切腹して殉死すること)した家臣の墓だということです。
日本に殉死の風習はあったでしょうか?と思ったのですが、調べてみると戦国時代末期から江戸時代初めにかけて一時的に流行したことがあったということです。戦国時代は主君と共に戦って死ぬことは多々ありましたが、戦がなくなった後の平和な時代において殉死が増えたのはどうしてでしょうか?
このあたりは様々な説があるので興味がある方は調べて頂きたいのですが、徳川家康はそもそも殉死には反対で、そのようなことで優秀な家臣を失うことは、藩にとってマイナスだと考えていたようです。
伊達政宗公が死去した時も、当初は徳川家光が殉死を許可しなかったのですが、どうしてもこの20名が殉死をしたいということで最終的には許可したということです。
伊達家2代目当主の伊達忠宗公の時も殉死した者もいたそうですが、それ以降は江戸幕府が殉死を禁じたため、そのような風習はなくなったそうです。
伊達家2代目以降の墓所
瑞鳳殿を出て順路通りに進んでいくと、伊達家2代目当主以降の墓所があります。
こちらにいくにも、やはりこの長くて急な階段を上っていくことになります。瑞鳳殿のように第1・第2の門はないので、やはり仙台藩初代当主は別格なのでしょうと思いましたが、実は明治時代の廃仏毀釈で瑞鳳殿以外の門などは取り壊されてしまったということでした。
階段を上がってところにあるのが、第2代当主伊達忠宗公の墓所である感仙殿です。その両脇には、やはり追腹(殉死)した者の墓石があります。瑞鳳殿と比べれば分かるのですが、装飾も控え目で小さいです。こちらも戦争で焼失してしまったため、昭和60年に再建されたものです。
感仙殿やその隣にある善応殿の前には、見事な石灯籠が並んでいますが、先日の地震で倒れてしまったというニュースがありましたね。また見事な石灯籠が見れる日が来ることを願っています。
こちらは第3代当主伊達綱宗公の墓所である善応殿です。この頃には殉死することは禁じられていたため、両脇には殉死者の墓石はありません。ちなみに殉死する代わりに出家する家臣はいたそうです。
感仙殿の奥には、9代目と11代目当主の墓があります。とても巨大で立派な墓石ですが、先程の初代~第3代までの墓所を見てしまうとシンプルです。それ以外の当主の墓は、少し山を下った御子様御廟という場所にありますが、私が行った時は「この先、熊の目撃があったため立ち入り禁止」ということでした。
以上で、伊達家霊廟である瑞鳳殿の紹介を終わります。車で行くのが便利ですが、仙台市内の観光地を巡る「るーぷる仙台」というバスもあり、こちらを利用されている方も半分位いました。
新型コロナウイルスにより、海外に行けなくなってしまったので、次回以降も国内旅行の様子をお伝えしていきますので、よろしければ是非ご覧ください。
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